プロフィール

楽々響基(らくらくひびき)のプロフィール

楽々って何やってるの?

大手ゼネコン系グループ企業の社内SE

・元ネットワークエンジニア

 

資格ナシ・学歴ナシからIT業界に飛び込み、残業ナシで年収500万の社内SEに昇り詰める。

ネットワークエンジニアの経験を活かし、社内インフラ整備を中心に活動。パソコン・スマートフォン等の簡易な資産管理から、ウィルスソフト選定・UTMポリシー策定等の高度なセキュリティ対策など、幅開く業務をこなす。

残業ナシで生まれた余暇時間を活用し、当ブログを立ち上げる。

 

学歴で入社できる企業が決まる。

 

学歴で生涯もらえる年収が決まる。

 

そんな理不尽な世の中を変えるべく、一人でも多く学歴ナシで年収500万を達成し、一人でも多く学歴ナシで幸せな生活を手に入れられるよう、情報発信を続ける。

 

主な資格

・CCNP
・ネットワークスペシャリスト
・LPIC Level3
・MCSA Windows Server 2012
・ITIL Foundationv3
・SEA/J CSBM

 

提供しているもの

 

・社内SE転職ノウハウ

 

・フリーランスエンジニア転職ノウハウ

 

・未経験からITエンジニアになる

 

仕事の実績

・公共系100拠点規模のネットワーク設計・構築

・マルチベンダー構成のネットワーク設計・構築

・UTM、LBなど高レイヤーアプライアンスを含むネットワーク設計・構築

・2000台規模のActive Directory新規導入

・1500台のガラケーからスマートフォンへの移行

・約150台のNAS回収とファイルサーバへのデータ統合

・約150拠点のネットワーク回線の改修

・WAN対応PCと閉域SIMシステムの導入

などなど・・・

ご挨拶

はじめまして。

現役で社内SEをやってる楽々と申します。

 

当サイト「学歴社会撲滅計画」へのご訪問、大変ありがとうございます。

 

このブログでは、

「学歴で就職できる企業が決まる」

「学歴で生涯もらえる年収が決まる」

 

そんな理不尽な仕組みを強く批判することはもちろんですが、私を含め、学歴社会の被害にあった方々の為に⋯⋯

「今の仕事の将来に希望を見出せない方の為に、未経験でも需要の高いITエンジニアになれる方法」

「ITエンジニアでも客先常駐で理不尽にこき使われている方の為に、社内SEやフリーランスエンジニアになる方法」

 

大きく分けてこの2点、どこよりも深く、そしてリアルな実態をお届けしています。

 

私は多くの資格と実務経験のあるネットワークエンジニアでしたが、今は社内SEをしています。

 

「社内SE仕事って何やってるの?」

 

と、ITベンダーに勤める友人から聞かれることがよくありますが、

 

主な仕事は⋯⋯

社内からの問い合わせ対応

システムの開発

インフラの整備

セキュリティ対策

パソコンなどのIT資産管理

などなど、色々な業務をマルチにこなしています。詳しくは私の活動日記を見てもらえば、リアルな実態が分かりますので、興味のある方はご覧ください。

 

とにもかくにも、社内SEの仕事とは、

 

「これが分からない!」

「あれが分からない!」

そんな社員様から、数々の問い合わせを受けることです。

 

「どうやったら自分一人でシステムを使いこなせるか?」

「どうやったら問い合わせをなくせるのか?」

それらを試行錯誤し、システムの改善を考えることが、私の仕事のやりがいというか、ライフワークになっています。

 

楽々って何者?

あなたは仕事や将来の不安を感じ、このブログを訪れてくれたものとご察します。

 

「楽々って何者?」

「こんなヤツの言うこと、信用できるの?」

 

今はそんな風に思われても仕方ないことは、分かっています。

 

あなたの不安をさらに煽っても仕方ありませんので、少しでも多く私のことを語り、信用を勝ち得なければと思う次第です。

ですので、ちょっと長めの自己紹介をさせていただくことをお許しください。

 

楽々の普段の生活

私は都内近郊の新興住宅地・・・いわゆる「憧れの街」の駅近マンションで、妻と子供の三人で生活をしています。

残業ないので毎日7時前には帰宅。土日は確実に休めるので、子供と触れ合う時間も多くあります。有給もほぼ消化できるので、旅行にしょっちゅう出かけています。

年収は500万以上。妻のパート代も含めれば、世帯年収は600万以上。家のローンは月額11万とちょっと高めですが、年間で100万円は貯蓄できるくらいお金には余裕があります。

 

時間もお金にも、余裕たっぷり。

 

そんな勝ち組と呼ぶべき生活を送る私ですが、かつての私からすれば、こんな生活を送れるとは、考えられないものでした。

 

楽々の生誕~学生時代

私は都内近郊にある家庭に生まれました。

兄弟一人の4人家族。よくある中流家庭のモデルケースと称しても過言ではないでしょう。

 

どんな日々を送っていたかと言えば、

 

「これといった目的もない」

「なあなあな毎日」

そんな日々を送ってきたと、記憶しております。

 

子供の頃から頑張ってきたことは、ありません。

 

何の苦労もせず

中の下くらいの高校で勉強も部活もテキトーにこなし、何の苦労もせずFラン大に入学。

大学時代はバイトと遊びに明け暮れ、学校では効率良く単位を取る業をひたすら磨く日々を過ごしました。

 

「ゴミだな、コイツ」

 

そう思われても、仕方ありません。

ただ、これだけは言わせてください。

 

たぶん私だけでなく、ほとんどの日本人がこうなっているはずなんですよ。

 

従順なサラリーマンを量産する教育が根付くこの日本で生きてたら、総じてこんな人間しか育たないんです。

 

楽々の大学卒業後~社会人デビュー

さて、我が国の教育批判はさておき、そんなサラリーマン量産教育の産物へ順調に育てられつつあった私。

 

何に影響されたか忘れましたが、日本に対しての反骨精神が芽生え、就職することを拒否します。

 

「つまらない大人にはなりたくない」

 

そんな見た目はかっこいいことを言いつつも、

 

「別に働かなくても何とかなるだろ」

 

本心はその程度の思いだったのでしょう。

 

大学卒業後は就職浪人という名のニート生活開始します。

1年半ほど怠惰を極めるも、中年ニートが起こす社会問題の数々をテレビ越しに目の当たりにします。

 

「さすがにヤバイ」

「ああはなりたくない」

 

そう思った私は、ハロワに駆け込んでいました。

 

若けりゃ仕事はいくらでもある

この社会、若いというのは最大の武器。

これは覚えておいてください。

20代というステータスは、超高齢化社会と呼ばれて久しい昨今、仕事を見つける上で最強のものです。

 

さて、そんな若かった私ですが、1年半のニート生活というステータスがありながらも、社員数30人程度の制作会社に、正社員としてあっさり就職できました。

そして、都心から離れた郊外にある、某大手企業の工場に派遣。満員電車に揺られることなく、毎日楽々通勤してました。

そして、ほぼ毎日定時あがり。ボーナスも年1回か2回は出る、美味しい仕事。

 

中小のブラック企業が蔓延する中、奇跡のような出来事でした。

 

楽々のぼんやりとした不安

ストレスフリーの楽な仕事に就けたとはいえ、手取り18万で、年収は300万いくかいかないか。

 

「このままでいいのか!?」

 

という思いが、常に頭の中にありました。

 

当時は実家暮らしだったので、生活に困ることはなかったですが、

 

将来は家を出て⋯⋯

将来は結婚して⋯⋯

将来は子供をつくって⋯⋯

 

ということを考えると、当時の稼ぎのままで大丈夫なのかと、ぼんやりとした不安を抱えていました。

 

周囲も楽観的

 

「生活できていれば、それでいいじゃない」

同僚や親は、そのような考え方を私に示していました。

 

たしかに、この楽な毎日に何が不満なのかと言われれば、返答に困りました。

 

「働いていれば、そのうち給料も上がるよ」

そんな説得もありました。

 

今となれば、年功序列制度が崩壊している状況を知っているので、それは幻想だと理解しています。

 

しかし、当時の私にとってその言葉は、ぬるま湯の状況から出させないのに十分でした。

 

楽々による人生初の努力

悠々自適の日々を送るある日のこと、私はIT系のスクールに訪れていました。

スキルを高めてアピールし、給料が少しでも上がらないかなという思いがあり、顔を出してみた次第。

 

当時はAdobe系のソフトを使って、デザイナーチックな仕事(本当のデザイナーとは程遠いですが⋯⋯)をしていました。

そのスクールで、当時の仕事に関連したWebやDTPのデザインを学べないかなと考えていました。

 

しかし、そのスクールのカリキュラムに、ネットワークエンジニアなるものがあることを知りました。

 

CCNPの魔力?

 

「CCNPを取れば、年収は500万以上」

 

スクールのキャリアカウンセラー(営業?)からそんな言葉を聞き、私の心は大きく揺れました。

 

年収500万という言葉は、当時の私の給料からすれば、夢のような金額です。

 

それだけもらえれば、家族だって持てるし、子供だって育てられる。

そんな明るい将来を夢見ていた私。

 

気が付けばネットワークエンジニアという仕事に大きな可能性を託し、ITスクールに100万近くの額を投資し、資格取得の勉強に励んでいました。

楽々による、人生初の努力です。

(※今思えば、この投資は無駄だったんですけどね⋯⋯)

 

そして、CCNPやらLPIC等々のITインフラ系の資格を入手した私は楽な仕事を辞め、IT業界に足を踏み入れました。

 

楽々のIT業界デビュー

 

「CCNPを取れば、年収は500万以上」

 

その言葉を信じ、IT業界に転職を果たしたわけですが、厳しい現実が待っていました。

結論、その言葉は幻想だったということは、だいぶ後になって知るんですが・・・。

 

当然、最初は未経験なわけだけら、給料もそんなに高くないことは覚悟していました。

しかし、IT業界の「構造」をまったく知らなかった当時の私。

 

何も知らず、誰でも就職できるSES企業に就職したのが運の尽き。

まあ、学歴の無いIT業界未経験者は、必ず通る道ではあるんですけど。

 

とにもかくにも、そんな下請けSierの策略にハマってしまいました。

いくら働いて働いても給料が上がらないことに、全く気付くことなく酷使されることになるのです。

 

ボロボロになる心と身体

IT業界に転職することで、状況は激変しました。

 

残業が多く、終電で帰ることは当たり前。満員電車に揺られ、職場に着いたらすでに疲れている身体。

 

これまで楽な仕事を続けていた私にとって、IT業界の仕事のお湯は熱すぎました。

何度も身体と心を壊しかけました。

 

それでも、

 

「CCNPを取れば、年収は500万以上」

 

その言葉を信じて働き続けました。

 

何度も言いますが、それはウソなんですけど⋯⋯。

 

とはいえ、資格を持っていた私は、ネットワークの設計・構築という上位フェーズに身を置き、仕事をしていました。

その点、技術面での将来性という観点では、着実に良いステップを踏んでいたのです。

 

楽々はSEになる

ネットワークエンジニアとして仕事をこなし続けて1年半くらい経ったある日のこと。

 

設計書を作ったり、

エンジニアさんに機器の設定を指示したり、

お客様やプロマネと作業の日程調整をしたり、

 

いわゆるSEの仕事を任されることになりました。

 

責任は重くなり、仕事量も多くなりましたが、人の上に立って仕事をしているというやりがいもまた、強く感じるようになりました。

 

心のゆとりを持つ

SEをやって人の上に立つようになった為か、

単純に業界に慣れてきた為なのか、

 

理由はよくは分かりませんが、相変わらず仕事はクソ忙しかったのですけれども、心のゆとりを持つようになりました。

 

この時期に結婚も果たしたのですが、精神的余裕があったからこそ、成し得たものだと思っています。

 

さて、人生の伴侶を手に入れた私ですが、そこで気になるのはお金のことです。

年収はネットワークエンジニアになってからボチボチ上がっていましたが、恐ろしい事実に気が付きます。

 

下請けSierの恐ろしさ

 

「残業代で上がっているだけじゃねーかw」

 

転職して3年ほど経っても、基本給が大して変わっていなかったのです。

 

「CCNPを取れば、年収は500万以上」

この話はいったい何だったのか。

 

「何でSEとか上位フェーズやってるのに、運用とかヘルプやってるヤツらと給料が変わらんのじゃー!?」

そんな感じで会社に文句をたれていましたが、

 

「ウチは客先に増員させるような人じゃないと、評価しないよん」

と、一蹴されていました。

 

ここにきてようやく、SESを主体とする下請けSierの恐ろしさに気付き始めます。

 

こんな働き方は、ぜったいに損!

 

私が会社を辞めることを決意したと共に見つけたのは、フリーランスエンジニアの存在でした。

 

楽々はフリーランスになる

ネットワーク系のフリーランス案件は、開発系に比べれば多くはありません。

しかし、私くらいの経験であれば、即参入できる案件は選べるくらいありました。

 

そして、どの案件に参入しようとも、年収は軽く600万は超えるであろうものばかりでした。

 

働く量が変わらないなら、お金を多くもらった方が得。

フリーランスの存在を知ってから、会社を辞めるまでは、それはそれは実に早いものでした。

 

晴れてSESの奴隷のような扱いから解放され、フリーランスとしての活動を始めた私.

 

しかし、そこからがまた地獄でした。

 

フリーランスエンジニアになって変わったこと

フリーランスになった私の月収は激増しました。

手取り20万そこそこだったのが、倍の40万近くになりました。

残業次第では50万を超える月もありました。

 

そしてまた、大きく変化したものがあります。

 

それは人間関係です。

 

フリーランスエンジニアになって変わったこと

フリーランスとなって案件に参入すると、プログラムやらコンフィグレーションが友達みたいな、技術大好き人間が多く集まります。

我が強くて譲らない性格の人が多く、ちょっと自分のやり方と違うとヒステリックを起こし、雰囲気が悪くなることもしばしば。

 

行ってしまえば、こだわりの強い変態ばかり。

 

何回か案件も変わりましたけど、どこへ行ってもそんな人と仕事をせねばなりませんでしたので、常に息苦しさを感じました。

 

お金はたくさん入ってきたけど、心はまったく休まらず。

声が出なくなることもあり、

身体の震えが止まらなくなることもあり、

身体的にも異常が見られるほどに。

 

「合わないんだな⋯⋯」

 

どうやら、私にはフリーランスエンジニアという身分は向いてなかったようです。

これが本物の技術志向の世界だと、思い知りました。

私は、技術を追い求める変態に、なりきれなかったのです。

 

心は簡単には入れ替えられない

フリーランスというか、ネットワークエンジニアにも嫌気が指していた私。

学歴のない自分でも、IT業界なら年収500万以上稼げる方法はある。

 

でも、それには図太い精神というか、変態的に技術を追い求めるこだわりというか、オタク思考というか⋯⋯

要にするに、常人から逸脱した心がないと成功できないと理解しました。

 

その時すでに30余年以上生きてきた私にとって、IT業界で成功するには、一からマインドというか人格を作り直さなければなりませんでした。

しかし、それは途方もない作業。

何か別な方法はないか、考えました。

 

楽々は社内SEになる

そもそも、自分がやりたかったことって、何だろう。

SEをやっていて、何が一番楽しかっただろう。

 

それを思い返した時、私は分からない人の為に、分かるように説明し、分かってもらうことに喜びを感じていたと、気付きました。

 

また、SEにとってのお客様である社内SEに、いつも憧れの視線を送っていました。

彼らが、ITのことを何にも知らない人たちを相手にしている姿を見て、

 

「俺もああいう人たちに教えてあげたいなあ」

 

そんな思いに浸っていた記憶があります。

 

とりあえず、何でもいいから社内SEになろう。

ひとまず、経験してみないことには何も始まらない。

 

そう思った私は、派遣会社から社内SE案件を紹介してもらい、1社目であっさりと採用を頂きました。

 

パソコンならなんでも知ってる人

非IT企業の情報システム部門、いわゆる社内SEの仕事に就いた私ですが、初めはわからないことだらけで苦労しました。

職場の方々は、IT業界の経験が無い人ばかりで、私のことを「パソコンのことなら何でも知ってる人」みたいな感じに思っていたようで。

 

私が詳しいのはネットワークだけなんですけどね⋯⋯。

 

それに、その会社独特のシステムとかソフトが引き起こす不具合とかもあるので、環境が分からないと対応できないという点もあるんですよ。

 

エクセルファイルが開かなくなったのは、この暗号化ツールが悪さしているとか、

この事業部の人たちは社外で仕事をするのが普通だから、VPNを繋いであげないとポータルサイトに入れないとか、

 

「そんなん、教えてくれないと分からんわ~!」

 

⋯⋯まあ、そんな感じでしたので、周囲の方々はみなさん良い人だったんですが、自分の立場上、気軽に聞けない雰囲気はありましたね。

 

3ヵ月耐えてみよ!

これは私自身が勝手に思ってる法則なんですが、

 

「3ヵ月の法則」

 

3ヵ月仕事を続ければ、職場にいることの気まずさから解放される。

3ヵ月仕事を続ければ、周りの人も自分を受け入れる。

 

アルバイトをしている頃から仕事をしていて思っていたことなんですが、仕事をしていて最初の3ヵ月が、とにかく一番ストレスがかかる時期なんですよ。

最初の3ヵ月さえ乗り越えれば、何とかなる。3ヵ月過ぎて合わなければ、その仕事には向いていない。

 

ちなみに、私の人生において、3ヵ月過ぎても合わないと思ったのが、フリーランスエンジニアの仕事でした。

 

⋯⋯それはさておき、この法則を信じて、最初は無心で自分のやるべきことに取り組みました。

 

で、やっぱり最初だけでしたね、辛かったのは。

職場の環境、独自のシステムに慣れると、湧いてくる問い合わせも容易に対応できるようになりました。

 

これが技術力の差だ!

同僚から、こんな評価をよく頂きます。

「何かあったら、楽々さんに聞けばいい」

 

問い合わせをしてくるユーザーさんから、こんな評価をよく頂きます。

「楽々さんが一番詳しいから、まず最初に聞いちゃう」

 

元ベンダーSEの経験と技術は、一般企業の社内SEから見たらチートです。こうなって然りなんです。

 

本当はベンダーでバリバリ稼いているべきなんだろうなと、思うこともありますが、頼られる、信頼されるというのは、お金には換えられない価値ですね。

 

お金もちゃっかり貰っていたりして⋯⋯

お金には換えられない価値とか言っちゃいましたけど、実はお金もけっこう貰ってますww

派遣で社内SEを続けて半年後、私はその会社の正社員になっていました。

 

基本給と諸手当、または賞与を含めると、年収は500万以上。

しかも残業はなし。

 

下請けSierで客先常駐で酷使されていた時との待遇とは、天と地ほどの差がありました。

 

社内SEの苦労

社内SEも、楽なことばかりではありません。

 

内勤という立場なので、社内政治にはとにかく振り回されます。

ちょっと頭のネジが緩んでる人が天下って役員になるようなら、トンデモ計画に参画されます。

誰も得しないプロジェクトを回すことになると、社員からの評価はガタ落ちです。

 

「こっちは言われてやっているだけなのに⋯⋯」

 

そんな感じで、社内SEはお偉い方の鶴の一声に振り回されるストレスは、多分にありますよね。

 

社長にも頼られる!

一方で、そうした偉い方々に顔を覚えられ、頼りにされるという点もまた、見逃せないですね。

ベンダーにいた頃は、絶対に絡むことがない、神的な存在の役員方。

社内SEは、そんな役員方のサポートをすることは、しょっちゅうあります。

 

新入社員から社長まで。

 

幅広い層から頼りにされ、承認欲求を満たしてくれるというのは、辛いことがあっても社内SEを続けられる大きな理由の一つです。

 

楽々が願うこと

私が20数年の教育を受け、手に入れたステータスは、学歴なし・資格なしの使い捨てサラリーマンでした。

 

「努力してこなかった自分が悪い」

 

そういう意見も多く聞きます。

 

しかしそれは、努力をサポートしてくれる、促してくれる環境がなかったから、仕方なくそうなったんです。

何をどう頑張ったいいか分からない子供に、努力をしなさいと言ったところで、何が生まれるでしょう。

 

挫折させるのが日本の教育

そうして生まれるのは、挫折だけです。

挫折しか味わっていないから、何もしてこなかったんです。

むしろ、挫折しか味わわせないのが、日本の教育です。

 

「自分で努力をしてこなかったから、年収300万にも満たないサラリーマンになった」

ではなく、

 

「どう努力していいか教えてくれなかったから、年収300万にも満たないサラリーマンになった」

これが真実です。

 

それは私だけではありません。

あなたもそうなんです。

この日本で教育を受ける限り。

 

日本の学校教育は、年収300万にも満たないサラリーマンを量産し、特権階級の人々が富を貪る為にカスタマイズされたシステムです。

あなたが年収300万にも満たないサラリーマンになったのは、必然なんです。

努力の仕方が分からないというのは、必然的にそうなるように教育されてきたからです。

 

努力の仕方は覚えられる

でも大丈夫です。

努力の仕方は身に付けられます。

 

学歴なし・資格なし、努力をしてこなかった私でも、年収500万まで登り詰めることが出来たのです。

あなたがまだ20代の若さを持っているのなら、まだまだ何とかなります!

 

奴隷であることに気付け!

私は社会の構造を知っています。

なぜ世の中は年収300万にも満たないサラリーマンだらけなのか、構造を知っているからこそ、その理由が分かるのです。

 

私は特別な人間ではありません。

・学歴なし・資格なし

・努力のやり方が分からない

・ただ流されて生きてきた

 

どこにでもいる、日本の教育を受けて必然的に生まれた人間です。

そんな人間でも、社会の構造を知ることは出来ます。

自分自身が搾取するために生み出された奴隷だということにも、気付くことができます。

 

成功者のマネをせよ!

そして、自分らしく幸せに生きる為に、正しい努力の仕方を身に付けることができます。

学歴なし・資格なしでも、残業なしで年収500万の勝ち組サラリーマンになるには、どうすればいいのか。

 

早い話、私のマネをすればいいだけです。

 

私には、どんな人でも残業なしで年収500万にさせるだけのノウハウがあります。

このブログを読むことで、あなたの人生は少しでも幸せに近づくことを、お約束します。

 

 

ここまで長々とお読みいただき、ありがとうございました。

私の人生が、あなたの心の一端に少しでも残れば幸いです。

~ 楽々響基 ~