
てれ!(Tele!)
結婚・離婚・不動産取引以外、オンラインできるエストニアを天界と崇める楽々です。
そんなエストニアに比べ、行政サービスはひたすら紙な面倒くさい日本。本当に紙が大好き日本人。判子大好き日本人。
そんな日本でも、徐々にペーパーレス化が進みつつあるようですが、実態はどうなんでしょ?
ペーパーレス化を考える
上司からペーパーレス化の案を出すよう、ご指示を受けました。とある面倒くさい役員様からのお達しだそうですが、それくらい自分で作れやとは、私の心の声。
そんな社会人の宿命に晒される私はともかく、世のホットなキーワードになりつつペーパーレス化という言葉。浸透すれば利便性が高まり、コストも削減できるような聞こえがしますが、私はまったくもって逆だと思ってます。
金もかかるし面倒くさくなる。
でも地球環境の為だから仕方ない。
それがペーパーレス化の本質。
ペーパーレス化が進まないのはなぜ?
ペーパーレス化を進めようとしている企業様は増えてきているかと存じますが、なかなか進んでいないのが現状かと思われます。
生意気ながら、その理由を考察していきたいと思うのです。以下、愚行を重ねることになるのは承知ですが、お付き合い頂ければと。
だって紙は便利だもの
目から情報を得ること、手で情報を残すことにおいて、紙とペンは最強です。なぜかと言えば、小さい頃から冊子を読むこと、紙に書くことを中心とした教育を受けていることに他なりません。
冊子か電子機器の利便性の差は、慣れの問題かと思います。学校の授業は全部PCとキーボード、教科書は全部電子機器だったなんて人は、IT化が著しい昨今とはいえ、皆無に等しいでしょう。国全体として電子機器の導入を進めていかないと、紙の優位は変わらないはずです。
だって紙は安いし
簡単に紙が手に入る世の中ということも、ペーパーレス化が進まないことを後押ししていることでしょう。
人間というか生き物は須らく楽して動くように作られいる動物ですから、地球環境の為とはわかっていながらも、目先の利便性を重視してしまいます。
紙は手に入りづらくなっている、高価になってきていると聞きますが、企業の経済活動を大いに妨げるレベルではないと思われるわけです。
電気機器を購入するコスト、またそれを使いこなすまでに至る教育を施すコストを鑑みれば、まだまだ紙を買うコストの方が安いのは判然としています。
「地球環境の保全に取り組んでいます」という点を対外的にアピールし、売り上げアップや社会貢献度向上につなげることが、現状として狙える効果かと存じます。ただ、国全体として「まだ紙なんか使ってるの?」的な風潮にならない限り、その効果は乏しいものになると評価せざるを得ません。
ペーパーレス化した世の中とは?
個人的は完全なるペーパーレス化を目指して行動しています。本は一切買わずに電子書籍で、議事やら電話メモはキーボードで残す等々を徹底していますが、マイノリティな存在であることを痛感しています。
紙が世の中からなくなると、どうなるでしょう。個人的には、人としての生活が出来なくなるとは思っていません。住民票などの証明書類は電子化すればいいし、発行もWebベースですればいい。冊子類は電子書籍でなんとかなる。
困るのは紙おむつとトイレットペーパーくらいですかね。利便性は目を瞑れても、さすがに衛生的な部分が失われるのはキツイ。それらに代用されるシロモノは、今の私の頭の中では想像がつきません。
紙がなくなるのはまだ先?
生活必需品はともかく、利便性を主として使われる紙を完全に排除するにも、段階的に行っていく必要があるのは言うまでもありません。紙がなくなることはつまり、町から本屋さんがなくなり、製紙業界はもちろん、プリンター事業が失われます。紙に依存したお仕事が世の中に多い以上、彼らに代替えとなる事業を提案しなければならないなど、社会として多くの問題を残します。
森林が少なくなり、温暖化が進んでいるなどと言われて久しいですが、それでも紙を求めて森林伐採を続けられることを考えると、実は環境破壊なんて単なるネガティブキャンペーンであり、まだまだ資源なんて豊富にあるのではと、不埒な考えが脳内を浮遊します。
紙に依存した社会、そして紙の需要に資源が追い付いてしまっている現状を鑑みると、完全なるペーパーレス化はまだまだ遠い未来と言うしかないです。
ペーパーレス化は、ネガティブキャンペーンを売り込む程度の効果しかない。資本主義社会においてペーパーレス化が淘汰されてしまうのは必然でしょう。今の世の中ペーパーレスを推進することは、己の身を削ることと自覚する必要があります。
それが良いか悪いかについて、ここで明言するのは避けておきます。