8時間労働という謎基準

はろ(Hallo)

1日の平均労働時間が6時間未満というオランダに敬意を表す楽々です。

日本の8時間労働がウザイという方は、私を含めかなりの数でしょうけど、昔の地獄に比べればかなり短くなったものです。

むしろ問題は「同じ時間に同じ所」に通うことなのでは?

 

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1日8時間労働はなぜ生まれた?

一日8時間労働、9時~17時で働くことが当たり前なこととして、我々の頭の中に刷り込まれていますけど、そもそもその基準が謎。

何をもってこの謎ルールに従い、我々は動かねばならぬのでしょう。

1日8時間労働は実は短い?

多くの方が気にされているであろう「8時間が長いか短いか」という点に言及してみます。

18世紀半ばから19世紀にかけ、イギリスで産業革命なるものが起こったのは、周知の事実かと存じます。その時の労働時間は1日14時間が平均だったとか。

そんなに働いてりゃ、健康問題や生産性の低下といった問題が起こるのは言うまでもありません。労働者も訴えに走ります。その努力が実り「月曜日から金曜日までの労働時間は1日最大10時間」という基準を手に入れました。

それでもまだ10時間⋯⋯。

さらにアメリカで「8時間労働にしろストライキ」が勃発し、労働者と警察が衝突して死亡者が出るなど、労働時間短縮を求めて先人方は多くの血を流されたようで。

ついに1919年に「1日8時間・週40時間」という労働制度が国際的労働基準として定められましたとさ。ちなみに日本でそれが取り入れられたのは1947年のこと。

そんなこんなで先人の労働者の方々が戦って得られた8時間という労働時間。その頃から比べてみれば、現代は天国なのかもしれませんね。

とはいえ、機械やらコンピューターが次々導入され、作業の効率化が進んで久しい昨今。100年前のアウトプットを実現するのに、今の技術をもってすれば労働時間は半分くらいで済むのではと思うのですが、それでも尚、1日8時間という基準が残っています。

人間が欲すアウトプットがまだまだ足りないということでしょうか。労働時間を短くするのであれば、人の欲望を抑えよという話になってきますかね?

 

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1日8時間労働はなぜ必要か

1日8時間労働が長いか短いかの議論は、精神論やら宗教論に発展し、根深そうな問題になりそうなのでひとまず置いておきましょう。ここでは「8時間一定して毎日同じ場所に拘束される」という問題について考えてみます。

1日8時間労働が生む通勤ラッシュ

9時から17時の間に都会のオフィスにある事務所に勤めるというスタイル。これは9時直前に自分のデスクに座るという命題の下、多くの人が同じ時間帯に同じ場所へ向かうという行動を取ります。

これによって「通勤ラッシュ」という事象を生み出すことは、どんなアホでもわかるでしょう。そして通勤ラッシュに巻き込まれると身体が疲弊し、仕事の効率が下がる一因になることも容易に想像できます。

時差通勤しようなんてキャンペーンが踊っていたりしますけど、人は誰かに拘束されたくないと本能的に思うもの。すし詰め状態の電車が未だに存在することは、大多数の人間が少しでもプライベートの時間を奪われたくない思いを優先させていることを十二分に証明しています。

会社に来るだけで疲れてしまう。

一定の時間毎日同じ場所に通うシステムは、身体的、及び物理的に仕事の効率化を奪ってしまうことに論を待ちません。

1日8時間労働が必要な仕事

1日8時間労働、とりわけ一定の時間毎日同じ場所に通うことで効率化される、いや、効率化というよりもそうしないと成り立たない仕事があります。

例えば、コールセンター、接客業、または警備員など「待機」することが本質な仕事は、一定の時間どこかで拘束される必要があります。

ただ、そうした仕事が日本の仕事の大多数を占めているとは言い難いものがあります。特に満員電車に揺られて都会に通う方々の仕事は、パソコンと向き合う事務作業に従事しているものかと思われます。そして、それらの仕事には「波」が存在します。

経理や人事が月末や期末になると仕事が増えるように、多くの仕事には閑散期、繁忙期なるものがあります。そういった仕事に「8時間一定して毎日同じ場所に拘束」という基準を当てはめてしまうと、暇な時でも8時間オフィスにいなければならない、忙しい時は8時間しか働けないという矛盾が生じてしまいます。

 

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1日8時間労働が無くなると?

そうした矛盾を解消すべく、給与の基準を「○○日働けば〇〇円」ではなく「○○すれば〇〇円」にしていくべきだと、生意気ながら主張します。

結果さえ残せればスタイルは問わない。ちょっと前に話題になった裁量労働制に近いものがあるでしょうか。

ただ、日本の裁量労働制は結局「時間」で判断されるんですよね。1か月160時間働くことを前提に、1日4時間しか働かなくても8時間働いたこととみなす⋯⋯みたいな。これを適用した会社で、実態として月100時間残業相当働かされている従業員がいて、サービス残業を助長する制度として酷評されたことを覚えていますが。

アウトプットを基準にした契約は究極の成果主義であり、誰もが効率的に物事を片付けることに注力する働きがあるのは間違いありませんが、格差を助長する側面があるのも否めません。

さらに多くの人が自由な時間で働くようになれば、通勤ラッシュはもちろん、土日祝日という概念もなくなり、文化的にも一変してしまう気がします。

主張はしてみたものの、蓋を明けてみれば大革命であり、壁は相当厚そうですな。今のところは夢物語の範疇で止めておきます。

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